Wondershakeの軌跡をお届け Vol.3

Hiromi Igarashi
Wondershake Inc.
Published in
5 min readMay 30, 2016

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Wondershake社PR担当の五十嵐です。

弊社CEOの鈴木仁士が語るWondershakeの歩み第三弾。

起業を決意した鈴木はアメリカ留学を終え、日本でチーム探しを始めます。簡単にはいかなかったチーム探し、紆余曲折を経て集まった創業メンバーとは?

サービスを作りながらチーム作りをした毎日

まず大学の知人紹介でデザイナーとサーバーサイドエンジニアの千葉(現CTO)がジョインしました。サービス作りは始めたものの、iPhoneアプリ作るのにiOSエンジニアがずっと見つからなかったんですよ (笑) iPhone自体がそもそも2008–2009年にリリースされたくらいなので、当時iOSエンジニアがなかなかいなかったんですよね。

2010年の冬にOpen Network Labに2期生として入りました。iOSエンジニアがいない中でも可能な範囲で製品を作りつつ、製品発表を行う「Demoday」に出たりしていましたね。ただ、サービスの裏側しか作れていない状態だったので、プロダクトがあるようでない状態でした。それでもコンセプトと動くデモを作って、それを使いながら投資家さんに話をしながらファイナンスして…という状況でした。

そのような状況でしたが、幸いにも2011年4月にTechCrunchが運営しているTeclosionというイベントで優勝したんですよ。大人が大勢集まる中で優勝したので、そこからすごくサービスとしての認知が上がっていきました。アメリカで起業しようとしている若者たちがすごく面白いコンセプトでやっているということで、たくさんメディアに取り上げてもらったんですよね。

メディアに取り上げられたので、Twitterで〝Wondershake〟とエゴサーチをしていたら、iOSエンジニアの方がmentionしてくれてたんですよ。TwitterでDM送って、会いましょうとなって、翌々日に入る方向で話が決まったっんです(笑)それが創業メンバーの藤井です。ちょうど彼も転職を考えていた時だったようで。念願のiOSエンジニアのジョインはこうして決まりました。

伊藤(現COO)はそもそも大学2年の時から知り合いでゆるく繋がっていて、他企業の内定があったようなのですが、丁度起業しようってタイミングでSkype が来て、そこから盛り上がって一緒にやろうと。

こうして、創業メンバー4人が全員集まりました。5年前ですね。

アメリカでの起業に向かって

そこから三ヶ月くらいでWondershakeの原型となるアプリを作りました。『Wondershake』は位置情報系のSNSで、Facebookのアカウントと連動させて、共通の趣味とか関心のある知り合いを、同じ場所にいたらその場で会えるくらいの距離感で人と人と繋げる、コミュニケーションできるというようなサービスです。Facebookのユーザー数を考えるとアメリカの方がマーケットも大きいですし、人と人とが出会うというカルチャー考えると、アメリカの方が距離感が近い。アメリカの大学のキャンパスとか、規模の大きいイベントでWondershakeのアプリを使ったその場の人がリアルに繋がれるというコンセプトで攻めようとしました。人と人とをリアルで繋げて、人をリアルで動かしていく。―ここは今でも変わらないんですけど、そのコンセプトでサービスを作り、このタイミングで投資家さんから資金を調達しました。4,000万くらいですね。

集めた資金を持って、2011年8月にアメリカで登記しました。アメリカで一軒家借りてそこで寝泊まりしながらやってましたね。「ソーシャル・ネットワーク」って映画あるじゃないですか、まさにあの世界です。3ヶ月間は観光ビザで、サービス作りながら大学やイベントでプロモーションをしたりバタバタでした。

そうして3ヶ月が経過をし、観光ビザが切れるタイミングで一旦日本に帰ってきて、E-2ビザ(投資家ビザ)取って、さあアメリカ行くぞ!っていう状態だったんですが…

暗雲立ち込めるビザ問題

まさか落ちたんですよ、ビザに(笑)ビザの申請に落ちたって、結構衝撃的ですよね。書類審査は通過していて、面接はまあ大丈夫って当時言われていたんですけど、まさかの面接で落ちました。アメリカに移住したいっていう意思を見せてしまっているので、もう観光でもアメリカに行けなくなるよ、とその場で言われたことは今でも鮮明に覚えていますね。実はその時からまだアメリカ行ってないんですよね。でも、伊藤(COO)がその後アメリカに行っていたので、一応入れることは検証済みです(笑)

これが弊社の第一挫折ですね。ビザが下りなくてアメリカに行けなかった。本気でアメリカでやって行く予定だったので、家を解約していた者もいて。もちろん、会社もアメリカで登記していますしね。日本を旅立つときに、いろんな方に盛大に送別会をしていただいた状態だったので、日本にすごく居づらくなってしまったんですよね(笑)それで海外合宿という体で、シンガポール行こう!とひとまずシンガポールに逃げました(笑)それから一ヶ月間くらいシンガポールで開発合宿して過ごしました。

(第四回は待っていたのは受難の日々編をお届けします!)

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