Wondershakeの軌跡をお届け Vol.4

Hiromi Igarashi
Wondershake Inc.
Published in
7 min readJun 2, 2016

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Wondershake社のPR担当五十嵐です。

弊社CEOの鈴木仁士が語るWondershakeの歩み第四弾。

アメリカでの起業を目指していたWondershake社の創業メンバー。ビザの申請に落ちるというまさかの展開で、逃げるようにシンガポール合宿へ向かうことになりますが…

待ち受ける苦難の日々

シンガポールにいったタイミングからWondershakeから『tsudoi』というイベント系のサービス作ることになります。Wondershakeは同期性、リアルタイム性が非常に強いサービスで、当たり前なんですけどお互いがアプリユーザーかつ同じエリアに同じタイミングでいないと繋がれない、という特性があったんですよね。立ち上げることは不可能じゃないけども時間がかかるし、それに耐えうる資金が必要でして。そういった背景があったので、サービスの性質をイベントという切り口に変えて、mixiコミュニティに似た趣味嗜好ベースで繋がるオフ会サービスを作ろうということでスタートしたのが『tsudoi』です。このサービスも完全にプロダクトアウトな発想で、そこにニーズがあるかどうかではなくて、自分たちのマーケットに対する感覚から「こういうユーザー体験作りたいよね」というドライブでサービスを作っていた時期ですね。シンガポールでラフ版作って、日本に帰ってきてリリースをしました。実はその頃、先日お話しをした通りビザの申請には落ちていたんですけどまだ交渉していて、アメリカに親会社残してたんですよね。無駄なあがきだったんですけど(笑)やはり難しくて、日本で事業展開していこうと日本に子会社を作ったのが、ビザに落ちた1年後の2012年の8月ですね。

ただ、一方で資金がどんどん尽きてきていましたし、イベント系のサービスは収益化にかなり時間がかかりますから、そのあたりから当時出資していただいていた投資家の方々から様々な意見をいただくことが増えてきました。会社が危なくなってくると、当然皆さん気にし始めますよね。ある投資家の方とは毎週ミーティングをして、詰めていただいてもらっていました(笑)

議題としては、サービスそのものについての話もあれば、今後の事業展開についての話…そもそも『tsudoi』のようなプロダクトアウトな事業じゃなく、会社を潰さないように、、受託でもなんでもして生き残るべき、という話もありました。ひとまず夢は横に置いて、まず生き残ろうと。でももちろん自分たちは受託事業をしようと思って起業してないので、絶対したくないと思ってたんですよね。当時は調子に乗っていたのもあって、絶対引っ繰り返せるから見とけと思っていました。結構いろんな意見をもらいまして、当時関わりを持っていただいていた投資家の中でも、シリコンバレーの流れを組んでいる投資家の方々は、どちらかというと常にフルスイングして、事業が外れてしまったら会社をたためばいいよね、という真逆な意見でした。自分は最初こちら側の意見だったんです。チームでも毎日もめてましたし、この時期は一番モラトリアムというか悩んだ辛い時期でしたね。

それで結局どうしたかというと、Wondershakeは、受託でもなんでもして、とにかく生き残る、という決断をしました。というのは、今は華々しく成功を収めている企業の中には、とにかく生き残る、という決断で粘り強く継続をし、大きい世の中の変化のタイミングで事業を伸ばしたケースがとても多いということに気づかされたからです。このアドバイスをいただいた投資家の方には感謝をしています。

この決断以降の1年間は、起業をしてから本当に一番辛かった時期です。私も含めてメンバー4人が全員事業を作ることに自信を失い始めていましたし、本来FacebookやTwitterのような世界的に展開できるサービス作ろうと起業してるのに、道半ばでアメリカ行けなくて断たれ、『tsudoi』も上述の流れの中で断たれ、当初想定もしていなかった受託をしなくちゃいけないということで。ただ、アプリの開発実績があったので、結構足元では案件が入ってきて、受託しながら2週間に1本、自分たちの考えたアイディアも実装していってました。75%ぐらいは受託でやりながら残りの25%で新規サービスを作る。アプリも量産しまくっていて、自社事業だけでも6ヶ月で10本くらいは作りました。そこで当たるもの当たらないものあるねって実感で学んだことは、今でも生きています。現在のWondershakeは新規事業創造力がかなり高いと思っているんですが、その時の下積みがあるからできているんだな、と思いますね。

自信をなくしたメンバー間に漂う不穏な空気

さて、とにかく受託をやっているこの時期なんですが、その頃はメンバーの仲がかなり険悪になっていました。事業が不調になってからお互い喧嘩ばかりしていて、チームワークどころではなかったですね(笑)お互い自分達はもっとできると信じていて、でもうまくかみ合わず。そもそもなんでこの4人で集まってるんだっけ?というような時期が一時期あったんです。でも、Wondershakeを続けるために、やらなくちゃいけないからサービスは一緒に作る、という状況が半年間くらい続きました。

率直な話をしますと、知り合いのベンチャー企業からの引き抜きの話はメンバー全員がたくさん受けていましたね。普通に昼間に話していた人が、夜にはメンバーを引き抜こうとしていたり。でも、創業メンバー全員、自分の意思でその誘いを断っていました。全員負けず嫌いなんですよね(笑)このタイミングで辞めて、伸びてるベンチャー入ることに対して、なんで自分たちがそれに屈するのか、という思いがあって。メンバー全員、特に自分が辞めないでくれと慰留をしたことはなく、全員が自らの意思でWondershakeに残る、と決めていましたね。改めてですが、この時期は本当に辛かったですね。成功ももちろんしていなっかたですし、サービスも伸びていない。自分が代表としてやっている中で、このメンバーが機能してないのは自分の責任だなと思いましたし、投資家から詰められるし、まあ寝れない日々でしたね。

ただ、当たるサービス出てくると、やっぱり変わっていくんですよね。当時、『NAVERまとめ』が流行り始めていたんですけれど、特定カテゴリーが弱かったんですよ。特に『NAVERまとめ』はゲームと女性向きコンテンツに弱いので、この頃に誕生した『MERY』は女性向けに、自分たちはゲームの方向でサービスを作りました。今でいう『GameWith』のようなサービスを作っていて、それがすぐに1,500万PVに到達しました。もちろん、広告費ゼロです。

それから、当時ツクルバの村上さんと共同で事業を作っていたんですけれど、この時にチロルチョコさんの案件を手掛けることになり、3社合同でチロルチョコのカジュアルゲームアプリを作って、累計数百万DLまで行きましたね。

2012年なんでカジュアルゲームが流行り始めた時期で、今は無理ですけど、ノンプロモーションでそれくらい伸びた時期だったんですよね。そこから収益化ができるようになっていって、一定の金額は稼げるようになりました。私たちも若かったですし、皆ギリギリ生活できる報酬でやっていたので(笑)、そこからは比較的すぐ黒字化までいきしましたね。

(第五回はLocari誕生編をお届けします!)

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